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スキー&スノーボード2004-2005

カテゴリ:米子の人情と暮らし( 2 )

ハーブティー

こないだ、知り合いが米子に墓参りのために帰ったとき、親の家はもうないから、親せきに泊ったんだって。
そのとき、お茶が、カフェインレスのものばっかりだったんだって。
子どもがとっくに巣立ったそのお宅は、高齢の夫婦ふたりの暮らし。
コーヒーも紅茶も、若いお客様が来たとき以外は誰も飲まない、健康のために、ハーブティーとか、ルイボスティーとか、そんなのばかり飲んでるんだそうな。
お抹茶は大好きなので、2日に1回は必ず飲んでるそうなんんだけど。
知り合いは、どうでもコーヒーじゃなきゃいけない、っていうこだわりもとくにないので、そのお宅の生活に合わせて、自分も、滞在中はずっと、お抹茶とカフェインレスばかり飲んでたんだけど、すごくからだの調子がよくなったって。
トイレの頻度も減ったし、いらいらも少なくなったし。
米子っていなか、いなか、と言われるけど、新しいものを積極的にとりいれていくところは、若々しくて都会的。
普通なら、健康にいいのはわかるけど、飲みなれないようなものはあんまりねえ・・と言うような年齢の人たちも、健康にいいのなら飲みましょう、と、どんどん新しいものをとりいれていく。
米子のよさだわねえ。



by friendlyclover613 | 2019-02-17 21:52 | 米子の人情と暮らし | Comments(0)

冗談が通じる人たち

お正月の記事としてこのブログに出した「大社におまいり」の記事が、あるところで話題になりました。



この記事です。


おばあちゃん、あのお守り買って



ふなこしさん
ま、あんたはうし年でしょうが
まあ、あなたはうし年でしょう

なんで、さる年ととり年のをかわんならんだ
なんで、さる年ととり年の(お守り)を買わなければいけないの



すずめの分だよ

うちの庭にくるすずめの親はさる年で、ことし生まれる子どもはとりどしだから、
このお守りを、やねのところにぶらさげとくの


ふなこしさん
ま、すずめのためにや
まあ、すずめのためなの

だらずけな
ばかばかしい

ま、買ってあげーがん
ま、買ってあげるわよ

すずめさんを神さんが守ってごしなーわい
すずめさんを神様が守ってくれるわよ


こういう冗談は、米子以外ではあまり通じないのが普通です。
米子だからとおる冗談だと思ってください。
島根、鳥取の人間は、ものすごーく気まじめでスクェアですから、こういう冗談を不用意に言うと、
あの人頭がおかしい、と言われかねません。
気が狂ってるとか言われて、へたすると、いじめの的にもなりかねません。

実はこういう頭のやわらかさも、米子人の性格の特徴なのです。
普通の田舎の人なら、頭がおかしいんじゃないの、としか思えないようなことを、こうして、
温かく、ユーモアのセンスで包み込んでしまうのです。
私の記事では、おばあさんと孫の会話ですが、米子では、友達どうしでも、近所の井戸端会議でも、こうして、
やさしく楽しくふわっと、じょうずにダツリョクしてしまうのです。
米子生まれの者が自分で言うのもなんですが、こういうところは、米子人はセンスがいいなあ、と思います。

自慢話になってしまうかもしれませんが、米子人って、
いっしょうけんめい、まじめにするべきことはしっかりするんだけど、
その一方で、ユーモアがわかる、ダツリョクじょうずの温かい人たちなのです。






米子人のいいところは、気くばりのきめこまかさではないか、と、私は思っています。
そして、今の時代、それは、貴重な希少価値があります。

米子の人は、一見ザツなように見えます。
細かいことはあまり気にしません。
たとえば、よその家でごちそうになった紅茶に髪の毛がはいっていても、気にしないで、髪の毛だけとって、普通に飲んでしまう人が多いのではないでしょうか。
それは、髪の毛が気にならないからではなく、お茶を出してくださったお心に対してしていることなのです。
人さまにごちそうになるときには、そうして、おおらかにふるまっても、自分が人にお茶を出す時には、髪の毛のような細かいことにまで行き届く人が少なくないように思います。
米子の人は、いちいち口に出しては言わないけど、茶道とかお煎茶の心得のある人が多いのです。
先生のところに毎週通って習ったことがないという人も、そういう教室で習った友達から習ってたり、おばあさんから習ってたりして、おいしいお茶の淹れ方をちゃんと知っている人が多いのです。
米子出身の人の家を訪ねると、意外な男性がお抹茶をふるまってくれて、驚いちゃうことって、わりとあります。
私の感じですけど、米子では、男のかたにお抹茶を淹れていただくことが、ほかより多いような気がします。

いくらお抹茶やお煎茶の資格を持っていても、することが思いやりに欠けていてザツな人ってよくいるし、資格なんか持ってなくても、人の思いに敏感で、行き届いたおもてなしをしてくれる人というのもいます。
私は、米子には、後者のタイプが多いような気がします。

バカ話に興じているときでも、おくれて来た人を、気持ちよく仲間に入れてあげる。
仕事中でも、お茶を淹れている途中でも、まわりの人の気持ちに絶えずアンテナをはってる、そんなところが、私の知る米子人には、みんなあるように思います。
若い男の人でも、おくれて来た人が気後れして遠慮しながら隅に立っていると、そこは寒いから、こっちにきて火にあたってください、とか言ってくれたり。
関東では、近頃の若い男の子は、あいさつしても返事しない人が多いからね。
私だけが返事してもらえないのかな、って思って、まわりの人にきいたら、若い男の子は返事しないわよ、ということです。

ほんとに不思議です。
人間関係ってまずあいさつから始まるものだと、私は思ってたんだけど、あいさつしない男の子たちは、友達ができないかというと、けっこうそうでもないみたいなんです。
あいさつなしで、いったい、どうやって、人間関係を作るんでしょうねえ・・

女の子も、いっしょに針仕事をしていると、おしゃべりしながら、針を持った手が知らないうちに人の顔に近づいていることにむとんちゃくだったり、背の高い子が高いところに置いたはさみが、頭の上から落ちてきたりとか、そんなことが多いです。
都会では、若いお母さんは働いているから、子どもにこういうしつけをするゆとりがないんですね、きっと。
同じような年齢でも、米子で育った若い人は、比較的、こういうことによく気がつくと、私は思います。

米子に帰ってくると、時間の足がすこしゆっくりでほっとします。
人への思いやりも、そこから出てくるような気がします。
いなかのよさですね。
だから、私、イナカモンと言われても、ちっとも傷つきません。
気配りのしかたを、都会の人に教えてあげましょうよ。
気配りや思いやりが希薄な人は、人間関係がうまく作れません。
都会では、人間関係がうまく作れなくて困ってる人、多いんだから。




(みやこださん)
あんたやち、聞いてごすだわ、うちの子がなあ、いとこのおふるをきとったら、きたね言われたとい
あなたたち、聞いてよ、うちの孫がさ、いとこのおふるを着てたら、きたないって言われたんだって


(ふなこしさん)
ま、なんできたねだ
まあ、なぜきたないの?


(みやこださん)
うちの子は、いとこの中でも下のほだだけん、みんなが使ったあとのおふるの服を着とーだがんな
そーがきたねだと

うちの孫は、いとこの中でも年が下のほうだから、おさがりのおさがりのそのまたおさがりみたいなふるい服を、いつも着てるの
それがきたないんだって


解説
米子の人は、いとこや友達のお古を着ることに抵抗がないといえるようです。
制服も譲ってもらうことが多いです。
制服だけでなく、かばん、体操服、学用品などなど、卒業したらゆずってね、と、
何年も前から約束している人たちもいました。
そうしてお金を節約するのは当たり前のことで、誰も、少なくとも米子では、誰もそういうことを笑ったりばかにしたりする人はいませんでした。

私も、お姉さんはいませんでしたが、母やおばさんやいとこのお古をゆずってもらうことが多かったです。
おばさんから母へ、母からいとこへ、いとこから私へと、何人もが着たものを着ていました。
それをみじめだとか思ったことはありません。
まわりの友達も、みんな、お姉さんなどのおさがりを着ていたから。
衣服費の節約にがんばっているというような強い意識はとくになく、まわりのみんながおさがりを着ているから私も、という感じでした。
それでばかにされるとかいうようなこともありませんでしたし、どうしても新しいものが欲しくてたまらなかった、というようなこともありませんでした。

それが当たり前だと思って育ったから、米子を離れて、おふるだ、おさがりだと笑われたときは、びっくりしましたよ。
全然、みじめだなんて思っていません。
おさがりを着るのは、なんとなくうれしかったり、暖かいものを感じたりするものです。
その小さな喜びを、人に教えてあげたいくらいです。





ふなこしさん
いっちゃん、そげんも手をふーたぶーもんだないで、
いっちゃん、そんなに手をふりまわすものじゃないのよ、

コートをきーときはな、こげして、手は人にあたらんやに
コートを着るときにはね、こうやって、手は人にあたらないように



だって、みんな、手をのばして着てるよ


ふなこしさん
みんながそげしとーけんこそ、上品に着たりぬいだりすー人がめだつんだで
みんながそうしているからこそ、上品に着たりぬいだりする人がめだつのよ



気がついたら、もう、すっかり、若くなくなっちゃって、20才くらいのときには、40才以上の人は異星の人のような気がしてましたが、自分が、もうすっかりその年齢になっております。
私が子どものころは、今の私の年齢というのは、死ぬことが身近になっているお年頃、というように感じておりましたが、自分がその年齢になってみると、死ぬなんて、まだまだ遠い先のような気がしております。
そんな年齢になって、若い人と世代のギャップを感じるのは、コートを着るとき、脱ぐとき。

更衣室とかでコートを脱ぐとき、着るとき、狭いところで何人もが着替えるとなると、あっちからもこっちからも、げんこつがにょきにょき飛び出してこわいことです。
めがねをかけているので、もしあれがめがねに当たったら、と想像するとこわいです。
ま、なんとかかんとかよけておりますが。

レストランでもあぶないときがあります。
3重の重箱にはいったお料理を、みんなでとりわけていると、隣の席の人がコートを着るときに、その手が重箱のはしっこをかすめてこわかったことがありました。
数ミリの差で重箱は無事でしたが、楽しい気分はぶちこわしでした。

いまさら、そんなふうに感じるなんて、じゃ、昔はどうしてたの、ってことになるんだけど、そう言えば、小学校の先生に教わったんですよ、コートをぬいだりきたりするときは、手は下に向けなさいって。
どんなにおおぜいいても、みんな、着替えのときは、手は下に向けてましたから、横からびゅんびゅんげんこつが飛んでくるなんてことはなかったと思います。

ちかごろの若い人は、そういうことをお母さんに習ってないんですねえ、
私くらいの年齢の者は、専業主婦のお母さんがずっとそばについていて、手取り足取りものを教えていましたが、げんこつをふりまわして着替える人たちのお母さんや先生は、共働きで、細かいことを教えずに、教わらずにしまったんですね。

私は、着替えのしかたを教えてくれた先生に、今、ほんとうに感謝しています。
あのころは、うるせー先公だねえ、などと、友達と悪口を言ってましたけどね、あんなふうにあんなことを教えてくれる人は、あまりにも希少価値のある存在だということが、今はよーくわかるものですから。

たまーに、女性としてのしつけをしっかりされている若い女の子を見かけますが、そういう人ってすごくめだちます。
狭いスペースで、他人に、かりそめにもけがなどさせないよう、細かく気を配りながら着替えをする女性もいるのです。
そんな女性がいるということは、そんな女性に娘を育てたお母さんがいるということです。
そして、そのお母さんは息子も育てていることも多いでしょう。

心ある母に育てられた心ある男の子は、心ある女性を好きになります。
これは、もう鉄則。
男の子は絶対に、自分のお母さんに似た女性を好きになるのです。
似ても似つかないような人を好きになっているようでも、他人から見ると、やはり彼女は彼のお母さんに、どこかしらが似ています。

いい男と結婚したかったら、いい女にならなければ。
エレガントなコートの着かた、脱ぎ方を身につけたあなたは、きっと、すてきな人にみそめられることでしょう。
男性も、きっと、すてきな彼女をキャッチできるでしょう。



by friendlyclover613 | 2017-02-14 14:18 | 米子の人情と暮らし | Comments(2)


方言の女王様なる鳥取県米子市の米子弁を世界の流行語にしたい
by friendlyclover613