とっとり県よなご市

カテゴリ:米子弁文法?!米子の言葉( 4 )

方言の女王様

方言とひと口に言っても、まんがになる方言と、まんがにならない方言とあると思います。

日本の方言の王者、東北のズーズー弁は、ほかの地方の者にも笑えます。
米子弁も、王様とまではいかなくても、女王様くらいにはなれるかも。
しっかりまんがになります。
水木しげるさんのまんがで、ときどき、ねずみ男などが、米子弁を使っています。
小学校のとき、京都から転校してきた男の子は、「かか」という言葉を生まれて初めて聞いたとき、30分くらい笑いが止まりませんでした。

私のこのブログを、あるところの人がまねして、〇〇弁を教えましょうとか、ネットで流しているけれど、残念ながらちっともおかしくありません。
〇〇に赴任する人には役に立つんでしょうが、それ以外の人が見ても、ちっともおもしろくありません。

なぜなのでしょうか。
ズーズー弁や米子弁と、〇〇弁とどこがちがうんでしょうか。

ズーズー弁にしても、米子弁にしても、標準語の意味、標準語の言葉が透けて見えるのです。
たとえば、おそまつくんのデカパンの言ってることの意味がわからないという人は、日本には、まずいないでしょう。

知名度とかは、米子弁より関西弁のほうが上かもしれませんが、笑えるということに関しては、
米子弁のほうが上だと思います。
関西弁も、京都と、大阪と、神戸とでは、微妙にちがうのですが、どれも、笑えるという点では、
米子弁に及びません。

博多弁も、わりとわかりやすいです。
私の学生の時、同じ下宿に博多出身の子がいましたが、下宿でも、博多弁を使っていました。
私だけじゃなくて、ほかの人も、なぜか、彼女の言っていることの意味がわかるんですよ、わからなくても不思議じゃないのに。
彼女が「ばかんすな!。」とどなったときは、大爆笑でした。
彼女の博多弁と私の米子弁は、下宿のみんながマスターするのが早かったです。
でも、笑えるという点では、私は、やはり米子弁のほうが上だと思います。

米子弁も、かかという言葉には、標準語の「お母さん」という言葉の面影があります。
ほうけたやな、というのも、標準語のねぼけたような、とかほうけたような、という言葉が透けて見えます。
聞いてすぐに意味がわかるのです。
だらずけな、とか、しんけけな、とかいうのは、よそから来た人には、最初は意味がわからないでしょうが、慣れると、言葉の意味、内容に、フィーリングがどうしようもなくぴったりなのが納得できます。

〇〇弁は、標準語の単語とはまったく似ても似つかないので、聞いてすぐに意味がわかりません。
だから、米子弁のまねをしようとしても、同じようにはできないのです。




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私でさえもわからない

旧米子市のJRの駅近くで生まれ、そこで育った、
米子弁nativespeakerの私ですが、いまだに、米子弁の中に、意味がよくわからない言葉があります。

「よもよもだーぞい」と

「きしゃがわり」

意味は、なんとなーくわかるのですが、わからない人にわかるように説明するとなると、できないです。




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同じ言葉

同じ米子生まれの米子育ちでも、関西弁が肌に合う人とか、東京の言葉がいちばんしっくりくるとか、いろいろな人がいるというのはおもしろいものです。

私は、頭の中で考えが発生するときは米子弁なのですが、米子ではないところで、人とお話するときは標準語になります。
関西にもけっこう長くいましたが、なぜか、どうしても、関西弁が身につきません。
意味はわかるし、会話もけっこうスムーズにできるのですが、自分では気がつかなくても、関西弁が通じないときがあるね、といわれたりします。
けっこう、関西も関西人も好きですが、それでも、言葉は、どうしても身につきません。

私の父が、子ども時代の一時期東京で暮らしていたことがあり、それで標準語を使うことが多いというのはあります。
が、私の知り合いで、両親とも純然たる米子弁で、それで、関西弁がフィーリングに合うという人もいるし、両親も親戚も、米子から1歩も出たことがないというような人が、標準語がいちばんぴったりくる、なんて言ったりしている例もあるから、親や環境の影響よりもっと強い要因として、何か、言葉以前のものがあるような気がします。

これは、どこで暮らしたかとかいうようなことではなく、持って生まれた生理的な感覚なのではないかと思います。

そういうわけで、私、関西にいたときも、自分と同じように標準語をしゃべる関東出身の人たちのほうが、フィーリングが合って、親しくなりました。

関西出身の人は、やはり、自分と同じ関西弁を話す人とフィーリングが合うと言います。

そういう、言葉以前の感覚、言葉にならないところでのコミュニケーションって、けっこう重要なのかもしれませんね。





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米子弁のむずかしいところ

米子弁は、米子で生まれ育っていない人にとっては、何を言っているのかさっぱりわからないものなのだそうです。
私の叔母の配偶者であり、従兄の父であった人は、関西の人でしたが、妻と息子が話している米子弁を、ついに終生、理解できませんでした。
叔母は、関西にお嫁に行って、関西弁を、わりとすぐにものにしたみたいですが。
女性のほうが強い分野なんでしょうね。

日本人にとって、米子弁にかぎらず、東北弁など、日本の方言は、おそらく、英語やフランス語の標準語よりも習得がむずかしいのではないかと思います。
なぜかというと、文法の理論では解明不能な部分が多いからです。

私は、仕事で、いろいろな地方の方言に接しますが、米子弁以外の方言の、どこがいちばんわかりにくいかというと、まず、質問の語尾がさがったり、普通の文章の語尾があがったりするところです。
語尾がさがっているので、質問だとは思わず、続きを待っていたら、むこうも、いつまでも黙っているので、あ、もしかして質問だったのかな、なんてことも、以前はありました。
質問の語尾はあげて、普通の文章の語尾はさげてくださいね、とお願いすることで、ほぼ、この問題は解決しました。
これが解決することで、お客様の方言がわからないという悩みはなくなりました。

それ以外に、方言がわからないことのトラブルというと、文字にすればまったく同じ文章が、アクセントや雰囲気で、意味の区別が、ツーカーでなされるのが、よそものにはわからないということでしょうか。

たとえば、このブログの記事「つばめさん」中の、「だいじにすーだで」という文字で表現される意味には2とおりあります。
「だいじにしなさいよ。」と、「だいじにしているんだよ。」と。

つばめを益鳥として歓迎して、だいじにしなさいよ、と、子どもにしつけしているのか、でなければ、益鳥として、うちは、ずっとだいじにしてるんだよ、と、伝えているのか。
どちらの意味なのかは、米子生まれどうしの会話なら、その場ですぐに意味は、ツーカーでわかります。
雰囲気とか、分析不能な言い方の調子とかで、なんとなーくわかるのです。






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