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子どもの危険な遊び

旧ブログでの人気記事でした。
ひとりでも多くの人に読んでもらいたいので、こちらのブログのテーマとは関係ない記事かもしれないけど、出します。

おそろしい話を聞いた。
知人の家はお寺である。
大勢の人がお寺に集まったイベントのあと、ごちそうがあまって、お寺の奥さんは、残ったおまんじゅうなどを、台所に置いておいた。
奥さんが買い物に行っている間に、子どもの友達が台所に集まって、ごちそうを食べ始めた。
ただ食べるだけならよかったのだけど、その中の太った子に、これ全部食べてみろ、ということになったのだという。
おまんじゅうが何十個かあまっていた。
それを、どれだけ食べられるか、というのを見ておもしろがるわけである。
そこへ、奥さんのお姑さんに当たる人が来た。
台所から、食え、食え、と、にぎやかにはやしたてる声やら、手拍子の音がにぎやかに聞こえるので、行ってみると、その太った子が苦しそうに、はやしたてられながら、おまんじゅうを口につめこまれていたそうである。
私が止めなかったら、あの子は殺されていたわ、と、お姑さんは、青くなりながら話してくれた。
こんな残酷な遊びをなぜ、子どもたちはするのだろうか。
今の時代だからではなく、子どものおもしろがることというのは、いつの時代も変わらない。
危険だからしてはいけないことと、このくらいならしてもいいことと、きちんと教えるために、それが手遅れにならないために、親は、どんなに忙しくても、万難を排して、子どもが遊んでいるそばについている必要があるのだと思う。
現実問題としてはなかなか難しいのかもしれないけれど・・・。
このお話は、プライバシー保護のため、細部を脚色しています。



おそらく、私自身が子どものときのニュースだったと思うのだが、新聞か何かで見たことが、いまだに忘れられない。
親か先生から聞いた話だったかもしれない。
子どもたちがグループで遊んでいたとき、目はどんなふうになっているのだろうと、ひとりの子の目を実験台にして、針でつついたりなどして、かまって、ついに失明させたという事件である。
あまりにもおそろしい話で忘れられなかった。
そして、このような恐ろしいことが起こるのはなぜかと、子どもなりに真剣に、先生や友達とディスカッションしたものである。
もう大昔のことで、犠牲者は私よりずっと年上のはずなので、今さら解決策もなにもないのだけれど、子どもの社会の本質的な部分は、いつの時代も変わらないと思うので、占いで、このようなことが起こらないようにする策を見つけられないものかどうか、やってみることにした。
占いの答えとして出たことは、みんな、きわめて常識的なことであった。
まず、人のからだはおもちゃではないことを、普段の生活のなかで、よくよくわからせること、人のからだについての正確な知識や、こんなことになったら取り返しがつかないとかいうような例を、おりにふれ、教えていくことが、まずひとつ。
それと、親が長時間目を離すのはよくないあの年齢の子どもたちを、まったくおとなのとどかないところで、何時間もほっておいたこともいいことではなかったようだ。
そして、冒頭のような状況のとき、犠牲になる子というのは、仲間のなかで軽んじられている、ある意味、ばかにされている子である。
ノーがはっきり言えない、とか、侮辱するようなことを言われてしっかり立ち向かっていかれないとか、そういう子が、そういうとき、まな板に載せられる。
犠牲者がいるということは、お前が実験台になれ、と命令する者もいるということである。
子どもの世界でも、そういう上下関係や力関係ができることは避けられないことなので、それを、冒頭のような取り返しのつかない事態に結びつかないようにするには、
友達どうしのあたたかい人間関係を作ること、それには、まず、親子関係が、傷つけるようなものであってはいけないということ・・・
結局、そのような答えだったのだけど、それが、言うはたやすく、実践することはものすごく難しいということなのかも知れない。
だから、このようないじめがなくならないのだろう。



たったひとつの注意をし忘れたために、ひとりの子どもの人生が狂うこともある。
ほんとうに、おそろしいことだ。
みんなでおしゃべりしているとき、ボウリングの話になった。
ボウリングが好きな人はけっこう多い。
子どもにも人気がある。
私も、昔、中学くらいのころ、学校の休みの日などに、友達の親類の人に、県庁のある町のボウリング場に連れて行ってもらうのが楽しみだった。
確か、そこのボウリング場の割引かなんかが使えるとかで、大人数でついて行ったものだ。
そんな話がもりあがる中、ある人が、こんな話をしてくれた。
「でもね、ボウリングも、取り返しのつかない事故が起きるときがあるから。
ボウルをひとりの子どもが取ろうとしているところに、別の子が、もうひとつのボウルを、ふざけてぶつけて、手におおけがをしてしまって、手が使えなくなったんだって。
ボウリングのボウルは、すごい重量だから。」
ボウルをとろうとしている手に、もうひとつのボウルがすごい勢いでぶつかってきた・・・・普通はありえないことだろうけれど、子どもはふざけあうこともある。
このようなとりかえしのつかない事故になるなんて、もうひとつのボウルをぶつけた子は思いもよらなかっただろう。
引率していた人はいったい・・・
あんなに夢中になってボウリングを楽しんでいた私たち。
1度もそんなことに遭遇したことはなかったし、想像さえしなかった。
私は幸運だったのか。
私たちを連れて行ってくれた人も、おそらく想像さえしなかったことだろう。
そのような危険ととなり合わせで、ああして遊んでいたのかと思うと、ぞっとする。



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by friendlyclover613 | 2017-11-11 20:20 | その他 | Comments(0)