とっとり県よなご市

スキー&スノーボード2004-2005

米子の茶道の来しかた行く末

日本の伝統文化はすばらしいものですが、間口が狭いのが欠点です。
相撲でも、文楽でも、柔道のように、もっとリラックスしたところからはいれれば、もっと、世界中に日本の文化をひろめることができて、後継者の確保も、もっとらくになるだろうに、と思います。

茶道というと、京都とか松江とかのほうが本格派だというイメージがあるようですが、お茶の心とは、形ばかりではないと思います。
私は茶道学者ではないので、難しいことはわかりませんが、とりあえず、誰でも仲間にいれてあげる、寒いところにいる人を、暖かい部屋に招いてあげる、それが誰であろうと、疑うのは、おいしいお茶を出して、まず温まってもらってから、という米子のやりかたのほうが、お茶の心の本質に近いような気がします。

茶道とは、もともと、中国では茶法、つまり、お茶を淹れることのハウツーだったものです。
それを、「茶道」という精神的なものにしたのは日本人です。
日本の文化の深さ偉大さ・・日本人の精神性はすごいですね。

松江のお殿様は遠州流だったそうです。
遠州流をやっている人のお話を聞いていると、深みがあって洗練されてていいなあ、とも思うのですが、それだけに、気難しいような、間口が狭いようなところがあります。
私が裏千家流を選んだのは、引越しが多い人生だからです。
裏千家流なら、日本全国どこへ行っても、先生には不自由しません。
遠州流よりカジュアルで初心者にははいりやすいともアドバイスされたこともあります。
茶道を世界中に広めたのは、裏千家流の家元の功績なんだそうです。

リラックスしたところから茶道の世界にはいれるということでは、裏千家がいちばんなんだそうです。
そんな、遠州流と裏千家流のちがいが、そのまま、松江と米子のちがいなのかな、と思います。

松江でお茶を習っている人に聞くところによると、カジュアルなかっこうでお茶会に出るなど、とんでもないのだそうです。
その人は裏千家流ですが、やはり、松江の人は型をだいじにするんですね。
洋服でも、それなりの立派なものを着ないといけないそうです。
京都の人は、おもてなしにふさわしいお菓子がない時は、うちでお茶しましょうとは言わないのだそうです。
京都の人がお茶に誘ってくれるときは、おいしい立派なお菓子が必ず用意してあります。

米子のお茶会は、着るもののこととかにも、そんなにうるさくありません。
もしかしたら、私が寄せてもらっていたところ以外ではそうでもないかもしれませんが。
お客様が来たら、エプロンをつけたまま、ささっとたてて、どうぞ、と出すのです。
ありあわせのお菓子でも、残り物のケーキでも、あるものでおもてなしします。
準備はしていないけれど、とりあえず、たとえば、寒いところでふるえているより、早く暖かいところにきてくださいよ、というのが、
米子のおもてなしの心なのです。

ほおづえついててもいいのです。
お点前を習ったことがなくてもいいのです。
いっしょに笑って、心が通じ合いさえすれば。
難しいことは、もっと茶道のことを知りたくなってから習ってもかまわないのです。

形にはこだわりませんが、米子の人は舌が肥えています・・自分で言うのもおかしいけど、おいしいお茶を毎日飲んで育ったことは、人生に大きなプラスになっていると思います。

哲学の三村勉先生は、お料理がたいへんおじょうずだったそうです。
三村先生のおいっこに当たるかた(東大の医学部卒のかたとは別人)が、長田のお茶屋さんのお嬢さまと、ずっと同窓だったそうで、そういうつきあいもあったのかもしれません。

三村先生は、米子で生まれ育ち、京大と東大とどちらを選ぶかという段になって、
西田幾多郎先生に師事するために京都大学を選ばれました。
そして、大学教授となられ、確か、京都大学の茶道クラブの顧問をなさってました。
作家の五木寛之さんの社会人入学を、龍谷大学が迎えた当時の文学部長は、名誉教授でもあられた
三村先生でした。
哲学の難しいことは、私はわかりませんが、
三村先生の哲学の下地には、米子独特の温かいヒューマニズムがあるのではないでしょうか。

ありあわせのお菓子でも、残り物のケーキでも、おいしいものにはちがいないです。
米子には、安くておいしいお菓子がたくさんあるのです。
その点では大阪と似ているのかもしれません。

京都のやりかたと、米子のやりかたと、どっちが正しいか、という議論はしたくありません。
どちらにもそれぞれのよさがあるのですから。

ただ、松江や京都ではうまくいかないだろうな、米子でないとできないだろうな、と思うことがひとつあります。
茶道をいろいろな人が、その人の条件に適した形で無理なく楽しむことができるようにすること。
今の形を全面的に守って、それ以外の形を否定していたら、たとえば、身体障害者の人は初めからお茶が習えないということになってしまいます。
そうして、条件で人をしめだすことが、本当のお茶の心でしょうか。
お手前をひとつまちがえたらいけないというようなことは、だいじなことではあるけれど、2次的なことのように、私は思います。

私の知り合いがボランティア活動をしていますが、お抹茶をたててあげると、すごく喜ぶ人が多いのだそうです。
習いたいのに、このからだでは、と無念がる人も少なくないそうです。
そういう人たちに、まず、おいしいお茶の味を知ってほしい、お茶で心がつながることを知ってほしい、という願いをこめて、彼女は、そのような人たちに、毎日、おいしいお茶を提供しています。

車椅子に乗っている人も、白い杖なしでは歩けない人も、着物を持っていない人も、どんな人でも、その人に適した入り口から茶道にはいれるようにすることこそ、真のお茶の心を形にするということなのだと私は思いますが、どうでしょうか。

市民みんなが、形にとらわれず、みんなでわいわい楽しくやりながらお茶を楽しむ米子は、松江とは持ち味のちがう、米子ならではのお茶文化が、これから創造されていくのだと思います。
そのプロセスには、ハンディを背負った人にも、それなりの条件の範囲内でお茶を楽しんでもらうことも・・・私はあってほしい、それは、米子のようなところでないとできないのではないか、と思います。


参考にさせていただいた本

「新しい茶道のすすめ」
黒川五郎著

ティーセラピー




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by friendlyclover613 | 2017-03-13 06:22 | 米子はお茶の都 | Comments(0)
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